親鸞聖人について
宗祖親鸞聖人は、
承安3年(1173年)5月21日(旧暦の4月1日)に京都の日野でご誕生になられる。
お父さま(藤原有範と言われる)が親鸞聖人が4歳の時に、お母さま(吉光御前と言われる)が8歳の時にご逝去される。
治承5年(1181年)親鸞聖人が9歳の時に、慈円の下で出家得度され、比叡山天台宗の僧となられる。
建仁元年(1201年)の春頃、親鸞聖人は比叡山を下山され、六角堂に百日参籠される。その後、吉水の法然上人の下で信心決定され、弟子となられる。
建永2年(1207年)、後鳥羽上皇の怒りに触れ、専修念仏の禁止と西意善綽房・性願房・住蓮房・安楽房遵西の4名を死罪、法然上人ならびに親鸞聖人を含む7名の弟子が流罪に処せられる。
建暦元年(1211年)流罪より5年後、親鸞聖人の流罪が許される。
建保2年(1214年)東国での布教活動のため、性信などの門弟と共に越後を出発し、常陸国に向かう。
親鸞聖人が60歳を過ぎた頃、京都に帰京される。
その後は著作活動に励まられ、
「教行信証」、「浄土和讃」、「高僧和讃」、「唯信鈔文意」、「尊号真像銘文」「愚禿鈔」、「入出二門偈」「四十八誓願」、「正像末和讃」「一念多念文意」などを著作される。
旧暦の弘長2年(1262年)11月28日(新暦の1263年1月16日)親鸞聖人は90歳で入滅される。
西暦 | 聖人年齢 | 出来事 |
1173 | 1 | 親鸞聖人は5月21日(旧暦の4月1日)京都、日野にてご誕生になる。 |
1175 | 3 | 法然上人が善導の『観無量寿経疏』によって回心を体験し、専修念仏を奉ずる立場に進んで浄土宗を開く。 |
1176 | 4 | お父さま(藤原有範と言われる)がご逝去。 |
1180 | 8 | お母さま(吉光御前と言われる)がご逝去。 |
1181 | 9 | 親鸞聖人が9歳の時、慈円の下で出家得度され、比叡山天台宗の僧となる。 |
1182 | 10 | 恵信尼公がご誕生になる。 |
1191 | 19 | 磯長の聖徳太子廟に参籠した時、「おまえの命は、あと10年であろう」との聖徳太子の夢のお告げを受ける。 |
1198 | 26 | 赤山明神で不思議な女性と出会われる。 |
1198 | 26 | 関白九条兼実の要請によって、法然上人が『選択本願念仏集』を撰述される。 |
1200 | 28 | 大乗院で、如意輪観音の「解決出来る日は近い。私の任務も終ろうとしている」との夢告を受けられる。 |
1201 | 29 | 比叡山を下山され、六角堂に百日参籠される。その後、吉水の法然上人の下で信心決定され、弟子となられる。 |
1203 | 31 | 肉食妻帯を断行される。 |
1204 | 32 | 法然上人が「七箇条制誡」をつくり、親鸞聖人はそれに「僧綽空」と署名される。 |
1205 | 33 | 法然上人より「選択本願念仏集」の書写を許される。 |
1206 | 34 | 三大諍論(「体失不体失往生の諍論」、「信行両座の諍論」、「信心同異の諍論」) |
1207 | 35 | 承元の法難により、専修念仏禁止となり、親鸞聖人は越後にご流罪になる。また、法然上人は土佐へご流罪。住蓮房・安楽房、西意善綽房・性願房の四名は死罪となる。 |
1211 | 39 | 親鸞聖人の流罪が許される。 |
1212 | 40 | 法然上人がお亡くなりになる。 |
1214 | 42 | 上野国佐貫で浄土三部経の千部読誦を発願されるが、すぐに中止して常陸へ赴かれる。 |
1217 | 45 | 日野左衛門を済度される。 |
1221 | 49 | 山伏弁円が親鸞聖人を暗殺しようとするが失敗し、山伏弁円は親鸞聖人のお弟子となる。 |
1224 | 52 | 覚信尼公が御誕生になる。 |
1224 | 52 | 親鸞聖人は、「教行信証」のご執筆をほぼ終えられる。 |
1231 | 59 | 親鸞聖人は高い発熱で寝込まれた病床で浄土三部経読誦の夢を見られる。 |
1235 | 63 | 親鸞聖人はこの頃、関東から京都へおかえりになる。 |
1241 | 69 | 平太郎が熊野権現で霊夢を見る。 |
1248 | 76 | 親鸞聖人は、「浄土和讃」と「高僧和讃」を著作される。 |
1250 | 78 | 親鸞聖人は、「唯信鈔文意」を著作される。 |
1255 | 83 | 親鸞聖人は、「尊号真像銘文」「愚禿鈔」などを著作される。 |
1256 | 84 | 親鸞聖人は善鸞を義絶される。 |
1256 | 84 | 親鸞聖人は、「入出二門偈」「四十八誓願」などを著作される。 |
1257 | 85 | 親鸞聖人は、「正像末和讃」「一念多念文意」などを著作される。 |
1262 | 90 | 親鸞聖人は旧暦の11月28日に90歳で入滅される。 |