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全都道府県の『海蔵寺』(寺院総数は43カ寺)の詳細統計
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全国には「43ヵ寺」の【海蔵寺】があります。
「海蔵寺」は、全国で239番目に多い寺院です。
1
[〒036-8273]
青森県弘前市
大字西茂森2丁目4番地3
[地図等]
2
[〒028-1371]
岩手県下閉伊郡山田町
船越第10地割18番地
[地図等]
3
[〒986-0781]
宮城県本吉郡南三陸町
戸倉字寺沢28番地
[地図等]
4
[〒987-0601]
宮城県登米市
中田町石森字本町88番地
[地図等]
5
[〒012-1123]
秋田県雄勝郡羽後町
貝沢字貝沢29番地
[地図等]
6
[〒016-0131]
秋田県能代市
字鶴形239番地
[地図等]
7
[〒999-7464]
山形県鶴岡市
由良1丁目13番15号
[地図等]
8
[〒963-5401]
福島県東白川郡塙町
大字東河内字五郎内306番地
[地図等]
9
[〒378-0303]
群馬県沼田市
利根町追貝770番地
[地図等]
10
[〒359-1145]
埼玉県所沢市
大字山口2725番地
[地図等]
11
[〒264-0028]
千葉県千葉市若葉区
桜木1丁目25番17号
[地図等]
12
[〒297-0011]
千葉県茂原市
谷本610番地
[地図等]
13
[〒298-0002]
千葉県いすみ市
日在1684番地
[地図等]
14
[〒100-1211]
東京都三宅島三宅村
坪田5002番地
[地図等]
15
[〒250-0021]
神奈川県小田原市
早川766番地
[地図等]
16
[〒959-2708]
新潟県胎内市
中村浜954番地
[地図等]
17
[〒959-3401]
新潟県村上市
七湊1798番地
[地図等]
18
[〒939-1337]
富山県砺波市
神島670番地
[地図等]
19
[〒927-1323]
石川県珠洲市
片岩町ラの64番地
[地図等]
20
[〒927-0441]
石川県鳳珠郡能登町
字藤波23字115番地
[地図等]
21
[〒917-0106]
福井県小浜市
阿納尻第29号10番地
[地図等]
22
[〒919-2205]
福井県大飯郡高浜町
下車持3号36番地
[地図等]
23
[〒919-1279]
福井県敦賀市
白木1丁目264番地
[地図等]
24
[〒437-0065]
静岡県袋井市
堀越764番地の1
[地図等]
25
[〒415-0532]
静岡県賀茂郡南伊豆町
子浦891番地
[地図等]
26
[〒441-3604]
愛知県田原市
伊川津町上地18番地
[地図等]
27
[〒516-2111]
三重県度会郡度会町
下久具114番地
[地図等]
28
[〒519-3814]
三重県尾鷲市
三木浦町457番地の1
[地図等]
29
[〒519-3208]
三重県北牟婁郡紀北町
三浦214番地
[地図等]
30
[〒511-0073]
三重県桑名市
北寺町10番地
[地図等]
31
[〒516-1104]
三重県伊勢市
上野町1213番地
[地図等]
32
[〒516-1306]
三重県度会郡南伊勢町
慥柄浦468番地
[地図等]
33
[〒520-3323]
滋賀県甲賀市
甲南町深川市場104番地
[地図等]
34
[〒629-3421]
京都府京丹後市
久美浜町葛野403番地
[地図等]
35
[〒626-0423]
京都府与謝郡伊根町
字平田102番地
[地図等]
36
[〒646-0042]
和歌山県田辺市
南新町20番地
[地図等]
37
[〒649-5145]
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
大字浦神315番地
[地図等]
38
[〒689-2501]
鳥取県東伯郡琴浦町
大字赤碕1507番地
[地図等]
39
[〒729-2316]
広島県竹原市
忠海中町3丁目8番10号
[地図等]
40
[〒751-0841]
山口県下関市
垢田町3丁目1番1号
[地図等]
41
[〒810-0053]
福岡県福岡市中央区
鳥飼3丁目5番30号
[地図等]
42
[〒849-1103]
佐賀県杵島郡白石町
大字築切812番地
[地図等]
43
[〒851-0505]
長崎県長崎市
野母町2092番地
[地図等]
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【お寺の言葉がわかる】「親鸞聖人って何?」 宗祖親鸞聖人は、承安3年(1173年)5月21日(旧暦の4月1日)に京都の日野でご誕生になられる。お父さま(藤原有範と言われる)が親鸞聖人が4歳の時に、お母さま(吉光御前と言われる)が8歳の時にご逝去される。治承5年(1181年)親鸞聖人が9歳の時に、慈円の下で出家得度され、比叡山天台宗の僧となられる。建仁元年(1201年)の春頃、親鸞聖人は比叡山を下山され、六角堂に百日参籠される。その後、吉水の法然上人の下で信心決定され、弟子となられる。建永2年(1207年)、後鳥羽上皇の怒りに触れ、専修念仏の禁止と西意善綽房・性願房・住蓮房・安楽房遵西の4名を死罪、法然上人ならびに親鸞聖人を含む7名の弟子が流罪に処せられる。 建暦元年(1211年)流罪より5年後、親鸞聖人の流罪が許される。建保2年(1214年)東国での布教活動のため、性信などの門弟と共に越後を出発し、常陸国に向かう。親鸞聖人が60歳を過ぎた頃、京都に帰京される。その後は著作活動に励まられ、「教行信証」、「浄土和讃」、「高僧和讃」、「唯信鈔文意」、「尊号真像銘文」「愚禿鈔」、「入出二門偈」「四十八誓願」、「正像末和讃」「一念多念文意」などを著作される。旧暦の弘長2年(1262年)11月28日(新暦の1263年1月16日)親鸞聖人は90歳で入滅される。
詳細はこのリンク【親鸞聖人って何?】